「自分のことを好きにならないとダメだよ」とか言うやつはだいたいクソとかいうタイトルでなんとなく始めてしまったこのシリーズだが、正直こういうことを言うやつのことは嫌いである。
他人がこういうことを書いているのはだいたい読まない。
世にいう成功者が悩める子羊にアドバイスをしているのとかを見ると、もっともらしく何かを語るのがお仕事なのね、大変ね、ところで耳かきってよくなくなるよね、あれってどこにいっちゃうんだろうね、みたいな話をしたくなる。
てか成功者でもない人間が偉そうに何かを書いたとして、それをありがたがって読むやつはいない。
呪文やお経と全く同じ文言を偶然幼稚園児が口にしたとしても、それに効力がないのと同じはんにゃはらみた。おっと。
というか成功者ではないやつの言うことを聞くとそいつみたいになってしまう恐れもあるので、逆に言えばこれから書くことは全部ウソで、逆張りをすれば成功者になれるかもしれない。
そして前バリをすれば秘部が露出することもないだろう。
前バリとは言葉では聞いたことはあるが、現物を見たことがないので、素材は何で出来ているのか、ガムテープの別称なのかという疑問を抱えたまま時は流れる。
というわけで自分のことを好きになるための方法について、まずは世間で言われているようなことをいくつか挙げてみよう。
まるで自分のことが好きであるかのように振る舞う
as if という英語を知っているだろうか。
意味は「まるで…であるかのように」ということらしく「まるで…であるかのように」振る舞っているとそのうち本当にそうなっていくというものだ。
しかし本当に自分のことが好きであるかのように振る舞っているとそのうち好きになっていくものだろうか。
そもそも自分のことが好きなように振る舞うというのはどういう感じなのかがわからない。
鏡を見て自分の姿をかっこいい、美しいと思っているかのように振る舞うというのはどうか?
鏡に映っている姿を見ると、水木しげる先生の描く妖怪のことを思い出してしまうことはあるかもしれないので、多分自分1人で完結させるのはムリだろう。
他人がいるところで振る舞うことが重要な気がする。
異性に「今日も素敵だね」というような言葉を恥ずかしげもなくかけてみる?
自撮りをSNSに公開してみる?
超ハイスペックな条件を恋人に求めているようなことを聞かれてもいない人にいい続けてみる?
自分へのご褒美というていで高級ブランド品を買ってみる?
確かにそれらはセルフイメージが低い人にはなかなかできることではないだろう。
他にも「まるで仕事ができる人であるかのように」「まるで人格者であるかのように」「まるでスーパースターであるかのように」などなどそういう自分なら自分のことを好きになれそうだと思うキャラであるかのように振る舞えるのならやってみよう。
こいつ自分のこと好きそうだなぁという人がいたら、行動を真似て見ればいいと思う。
もしそれで自分のことが好きになれたらそれはそれでいいので、やってみようと思う人がいるのならやってみて欲しい。
どれぐらいの割合かはわからないが、そんなこと出来ないという人ややってみたけど余計に死にたくなったという人もいるはずだ。
当然だと思う。
そんなことで悩みが吹き飛ぶのであれば二度の世界大戦は起こらなかっただろう。
他の方法を考えよう。
呪文のように自分が好きだと唱える
自己啓発系のあるあるだ。
俺はすごいすごいすごいすごいすごいすごい。
俺ならやれるやれるやれるやれるやれるやれる。
やるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞ。
みたいに実際に声に出して、ポジティブなことを何度も言う。
同じフレーズを繰り返すのが幼稚で馬鹿みたいに思えるなら、文章を書いて音読する。
「私はこの世にたった一人の大切な人間です。
他の誰でもない素晴らしい存在です。
何にも変えられない唯一無二の貴重なもの、それは私です。
私は私のためなら何でもします。
何でもできます。
人にやさしい心穏やかな存在でもあります。
私はみんなが好きです。
みんなも私が好きです。
そんな私を私は好きです。」
ポイントはネガティブなワードを入れないこと。
例えば、「私はブサイクではありません。」というのではなく、「私はイケメンです。」と言うように、意味は同じでもネガディブワードで表現するのではなく、すべてポジティブワードで埋め尽くす。
これも一回やってみればいい。
そんなことでポジティブで明るくなるならラッキーな人生だ。
普通は余計アホらしくなって、余計落ち込んでしまうだろう。
なんでこんなことをしているんだ、やっぱり俺はダメなやつだ、と。
他にもいろいろあるが
なんかめんどくさくなってきた。
とにかく一時的な気の迷い的に、自分のことを好きにならなければ!と思ったときの処方箋として、効くかもしれないものもあるので、とりあえずそういうのを一回やってみればいいと思う。
問題はその後にやってくるので。
そもそも本当に重度のうつ病の場合はこんなことゆったりやってる余裕はない。
うつじゃない人がうつにならないようにしたり、ちょっと落ち込んだときに元気になればいいな、という感じで軽く捉えないとね。
で、実際に辛いことを乗り越えた人が、元気になって、その辛かったこととか忘れてしまったり、自分が乗り越えられたからといって、他人に自分のことを好きならないとダメだとか偉そうに言うのはどうかと思うよねって話でしたっけ?
忘れたけど、だいたい自己否定もそう悪いものでもないのだよ。
今の自分が嫌だから、変わりたい、成長したいというのが原動力になって、力をつけようとするかもしれないし。
自分に自信がないのですが、どうしたらいいでしょうか?
というお悩み相談があるとして、よくあるのが
「何か一つのことを突き詰めて力をつけましょう。
たったひとつのことでいいんです。
これだけは誰にも負けないというものがあれば、人は自信を持てます。
そしてその能力で、経済的にも豊かになれることでしょう。」
みたいな回答。
それが出来る人はイチローぐらいだ。
能力不足によって自信がないという人は、特定の能力を鍛えたところで、何か他の人とくらべて劣るところを見つけてまた自信をなくすのを繰り返す。
使う目的がはっきりしていないのに、お金が欲しい言う人の中に、お金は万能な尺度なので、お金を儲けられる力がある自分はすごいと思えるから、という人がいる。
特にやりたいことがない、けどお金は欲しい、いや、やりたいことがないから、お金があれば仕事をしなくていいからお金がほしい、と。
なぜ仕事をしたくないかというと、能力がなく仕事をバリバリこなせないから、居心地が悪い、上司に怒られる、同僚の目も厳しい、後輩にもバカにされているような気がする、やっぱり自分に自信がない、というパターンがある。
長くなってきたので結論に向かったほうがいいと思うのだが、特に一つの回答はないというのが結論で、人それぞれだと言うことなのだが、この人それぞれという答えは普通は何も言っていないのと同じだ。
でも本当の意味で人それぞれだということがわかることが重要だというのが今回の本当の意味での結論。
自分のことが好きでもいいし、自分のことが嫌いでもいいし、自分という存在にあまり興味がなく、それより外の世界のほうが面白いというのもいい。
自分に自信があってもいいし、なくてもいい。
自分に自信がないのがイヤだから、なんとかしたいと思っているのもいい。
自分は無能で、自分のことを嫌いになっているので、何とか能力を高めて自分のこと好きになろうと努力している最中に、いつも自分のことをバカにしているやつが周りからいなくなって、急にいい友達に巡り合って、人生たのしー、ってなって、能力は全然高まってないのに、自分大好きーってなるのもいい。
なんだっていいし、いいも悪いもそういうもんだし、変えたくても変えられないけど変えようとするもの変えずに放置するのも、全部同じことなわけ。
全部同じ。
生まれてすぐ死んでも、長寿でギネスに載っても同じ。
どっちの人間のほうが価値があって幸せか、なんて言えるやついるか。いないね。
短い生涯だって悪いもんじゃないよ。長生きだって悪いもんじゃない。
同じだ。
長生きしたいと思ってもいいし、もうこんな人生いやだと思ってもいい。
同じだから。
悲しいことやつらいこともあるでしょう。
そういう目に合いたくないと思うでしょう。
でも実際合ってしまうこともあるでしょう。
なんで自分だけこんな目にあわなければいけないんだと、誰を恨むでもなく思うこともあるでしょう。
はっきりとした加害者がいて、その人を憎み、恨むこともあるでしょう。許すこともあるでしょう。
いっしょ、いっしょ。
全部いっしょ。
どれを選んでも何をしてもどうなっても、同じなわけ。
すべては同じ。
自分や誰かがどう思おうと、何をしようと、びくともしない何もならない、全く変わらないものがあるわけ。
ということはですよ。
何したって同じわけなんだから、何したっていいってことね。
どうせ同じなんだから。
どうせ同じなんだったら、好きなことをすればいいし、好きなことができなくたっていいわけ。
好きなことができなくて、なんとか好きなことができるようにがんばったっていいし、あきらめたっていい。
なぜなら?
はいっ!
どうせ同じなんだから。
いや、同じってことはないだろうって思うじゃん?
そう思って、何とかしたいと思うならしたらいいし、しなくてもいい。
なぜなら。
どうせ同じだからね。
ちなみに、「好きにすればいいって言うけど、好き勝手なことをして人に迷惑をかけることもいいと言うのか、お前は!」という人もいるよね。
そんなの当たり前じゃないすか。
どうせ同じなわけ。
人に迷惑をかけようとしても、かけられることもあればかけられないこともある。
迷惑をかけないでおこうと思っても、迷惑をかけてしまうこともあるし、うまく迷惑をかけずに済むこともある。
いや、もう迷惑とかそんなぬるいことがいいたいわけじゃないんでしょって思うので、「お前は人を殺すこともいいと言うのか!」ってことでしょ。
はいはい。
同じですよ、同じ。
殺したくて殺せることもあれば殺せないこともあるでしょう。
殺したくなくても殺してしまうこともあれば、殺さずに済むこともあるでしょう。
同じ同じ。
てかなんで凶悪犯とかだけを擁護してるような話にすりかえてんのって感じですよね。
同じだって言ってんのにね。
そういうのは自分のことを棚に上げて、他人事で話してるからそうなるわけ。
例えば俺が凶悪犯に殺されかけたら、自分が殺されたくないと思って、そいつを殺すかもしれないし、いつ俺が凶悪犯になるかもしれないし、凶悪犯を事前に犯罪に手を染めないように説得できるかもしれないし、俺のせいで犯罪者を生んでしまうかもしれないし。
そんなの全部いっしょだよ。
ごめん。
しらんわ。
で、そういう地点から、ものを考えているんだよって話ね。
スタート地点がそこ。
全部同じっていう価値体系っていうのかな、そういう場から考えをスタートしてるっていうだけ。
そうじゃない人もいるでしょう。
親の言うことをすべて受け入れて、その価値観から考えをスタートする人もいるでしょう。
そういう人と俺は違うと言っていると思いますか?
ええ。
わかるでしょ。
同じですよ。
考えのスタート地点が違っていても、同じ同じ。
大丈夫。
この感じ伝わればいいな、と思う。けど伝わらなくてもいいし、誤解されてもいいし、誰にも読まれなくてもいい。
全部同じだからね。